INTRODUCTION

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  • 1990年代のPC事情
  • 識者からのコメント

Bio_100%を知る識者からのコメント

Bio_100%と高橋

● 高橋ピョン太

あの頃、高橋はBio_100%のゲームに夢中でした。それはもうBio_100%のやっていること1つ1つが気になって、そのどれもがインパクトがありすぎて今でも鮮明に覚えているのですが、こうして原稿に書こうと思うと全く思い出せません。あの頃って、何年ぐらい前のことだったんだっけなぁ……。

ということでここから先の話は高橋の脳内の記憶ということで、時代考証、名称等は曖昧かもしれません。ですが、その記憶に残っている部分というのは、それだけ強烈だったということだけは間違いありません。

ちなみにあの頃は、私、高橋は、プログラマー4割、編集者6割ぐらいの配分で、ログインという雑誌の仕事をしておりました。そして、あの頃の通信手段というのは、インターネットではなくパソコン通信で、1200bpsぐらいの速度で通信をしていた時代です。bpsってなんだよ、『ブラックオニキス』の会社? っていうぐらい、まだそんなにパソコンで通信をするという人も多くはなかった時代です(少なくもないですが)。

そんなパソコン通信をやっていて、当時、フリーウェア、シェアウェアという概念が急速に発展しているような状況で、その思想だけでも面白いななんて思っていた矢先に、なんとゲームをフリーで(シェアウェアかどうかは忘れました)配っている集団がいて、なおかつゲームを作るためのライブラリさえも公開しちゃうという人達だと聞いて、これまた豪気な方々だなぁという印象で、とにかくパソコンにおける通信の先に、とてつもなく未来を感じさせてくれる集団が現れたので驚いたんですね。それがBio_100%だったんです。

そしてまもなく高橋は、パソコン通信でゲットした『SuperDepth』というゲームにはまり、その完成度と見せ方、作り方にフリーウェア以上のこだわりを感じ、そのゲームがBio_100%の作品であることを知り、さらに感激した記憶がありました。

その後、これは高橋なりにも何かをしないといかんと思い、当時やっていた雑誌のゲームレビューページ(当然、市販ゲームのみのレビュー記事)で、このゲームは市販品ではないんだけど、とにかく完成度とそのやっていることが新しいので是非紹介したいと当時の編集長に話し、紹介にこぎ着けたわけです。

そこで改めて『SuperDepth』の作者であるaltyさんにパソコン通信のメールで連絡し、そして掲載許可をもらい、見事、掲載に至ったというわけであります。

今、これを簡単に書いていますが、当時、それらすべてをメール等の通信手段だけで記事まで実現させるというのは、結構、斬新かつ大胆な試みだったはずです。まだテレホーダイすらはじまっていない時代ですからね。いやほんと未来的な事象でした。

そしてそして、時がさらにだいぶ流れます。今度は、そろそろOSがMS-DOSではなくWindowsにシフトしていこうかという時代。ゲームもWindowsに対応すべく、DirectXなるライブラリがマイクロソフトから発表され、少しずつ認知されながら、そして普及しそうな兆しが見え始めた頃、高橋は、これまた新しいことだなぁと感銘を受け、マイクロソフトに取材に行ったら、な、なんと、あの頃にお世話になったaltyさんが、今度はマイクロソフトの社員として、そしてDirectXのエバンジェリストとして活躍されており、高橋の目の前に現れたのです。いやはやこれは運命でした。新しいことに感銘を受け、何か面白いと思い近づくと、そこには必ずやBio_100%のにおいがあるというわけです。

それからまたまた数年と時は流れ、Bio_100%と高橋はまたまた出会うことになります。実は2年前まで高橋は、altyさんが副社長をされていた会社にお世話になっていました。この時もモバイルの世界に新しさを感じ、そこに飛び込んだらaltyさんがいたという偶然なんですが……。すいません、何が言いたいのかと言いますと、つまりまたこうしてBio_100%が活動する時期に高橋が原稿を書いているということは、なんだか新しい時代の流れが生まれるような予感がしてならないのです。Bio_100%について、そして思い出のゲームについて何かいろいろと書こうと思ったんだけど、なんだか結局、altyさんと高橋、みたいな原稿になってしまいました。本当は、『戦国TURB』とか、ドリームキャストとか、『蟹味噌』とか、語りたいことは山のようにあるのですが……。

ということで、何はともあれBio_100%のやることに期待したい高橋です。ちょっとまた楽しみが増えました。Bio_100%のみなさま、またみんなを楽しませてください。よろしくお願いいたします。

高橋ピョン太

プログラマー(ゲーム開発)から編集者・ライターに転向し、パソコンゲーム総合雑誌『ログイン』の六代目編集長を務めた、自称「永遠の18歳」。現在は株式会社オレンジリーフ代表取締役。

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正座でダウンロードの完了を待っていたあの頃

● 梅本ゆきたか

現在は光ファイバー等の高速回線が当たり前のように普及しているけれども、Bio_100%の作品がネット上で公開され始めた1990年代初頭は、1200~2400bpsのモデムを使ってパソコン通信を行うような時代でした。bpsというのは1秒間に何ビットのデータが転送できるかを表す単位で、例えば200キロバイトのデータを2400bpsでダウンロードした場合、最短でも約11分間かかっていたのです。しかも月額固定のようなサービスはまだ始まっておらず、ネットにつなげば普通に3分10円の通話料が課せられていたわけで、月の電話料金が5万円を超えるネットワーカーもざらに存在していました。

今は200キロバイト程度なら一瞬で転送できてしまうし、通信回線料が完全従量制というのもまずありえない話で、当時の状況を知らない人からすれば上記の内容はちょっと信じがたいかもしれないですね。でもそんな過酷なネット事情の中にあってもBio_100%の作品だけはダウンロードせずにいられなかった、というのもまた事実なのです。一度彼らの作品の魅力にとりつかれてしまったら、いくら時間がかかろうとも、いくら電話料金がかかろうとも、その先にある面白さには代えられない、そう、まさにプライスレスなフリーウェアだったんですよ。どの程度プライスレスだったかというのは、リアルタイムでそこに居合わせた人でなければわかり得ないことかもしれませんが、このサイトを読み尽くすことでその片鱗を多少なりとも感じ取っていただけたら幸いです。

最近は市販ソフトでさえ、作り手がゲームの楽しさを忘れてしまっているのでは? と首を捻らざるを得ない作品が多々見受けられるので、ぜひともこのあたりでBio_100%に再起動して頂き、ゲームの楽しさとはかくあるべきと、市場に喝を入れていただけないかと思う所存であります。

梅本ゆきたか

ゲーム歴26年のフリーライター。初めて触れたPCは日立のベーシックマスターJR.。初めて購入したゲーム機はセガのSG-1000。ゲーム機は発売日に買わないと気が済まないという、いわゆる初期型マニア。お仕事募集中でございます。

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Bio_100%と、私が三宅ポル助だったころ

● 三宅ポル助

Bio_100%の名作は数多いけれど、当時のログイン編集部員(注:三宅氏は元ログイン編集者)が一番熱くなったのは8月頃。クーラーが利かないから、窓全開ですよ。じゃなくて、そう『SuperDepth』でした。仕事用のPCはお下がりのPC-9801Uだから、『松』で原稿書くしかないわけです。職場だから当たり前ですね。

そんなときに単純なルールのうえ、軽くてPC-9801UV11でもスムーズに動くアクションゲームとあって、こいつはスコアー争いにうってつけ。不夜城の編集部では電源を落とすこともなく、24時間立ち上げっぱなしの専用機があったほどだ。たまーにマシンが落ちている場合は、最初に出社した人が電源入れる係。そんだけ起動させていても順番待ちするんだから、すばらしい職場環境といえるのだが、おバカな編集者ぞろいだったともいえよう。

バカみたいにプレーして、バカみたいなハイスコアになって、もはや100回くらい連続プレーして、運よくなんとか更新できるレベル。でも次のバカがプレーという、今でいうとなんだ、ほら、なんとかスパイラルみたいな感じで合ってる? とにかく抜かれるとまた仕事そっちのけでプレーしていたという毎日。

ちなみに、24時間起動ゲームはその他にPC-AT機の『テトリス』があり、「あいつどこ行った!!」というときは、この2台の席にある電話を鳴らすと捕まったほど。なお、どちらも短時間で脊髄反射養成モードになるため、1回のプレー時間は比較的短かったのだが、それでも手の甲が腱鞘炎になったりするからバカですね。

この『SuperDepth』から続くハイスコアー争いは長く続き、大抵、みんな新作に飛びつくのだが、梅本(注:先にコメントを書いている梅本氏も元ログイン編集者)と三宅というアクションゲーマーのおかげで、1日で走り幅跳びから棒高跳びレベルのスコアになるのが通例。バカだからどっちが勝ったかは覚えていないけれど、ふたりのバカのどちらかだ。

以後、SFCの『F-ZERO』も土日出社でタイムを削り、『マリオカート』なんて出社時に買ってきたデザイナーに借りて、全コースクリアーはもちろん、タイムアタックもコンマ何秒のスコアで埋め尽くして涙目にしたり、楽しい日々が続いたわけですよ。

と、ここらで「おいおいプラットフォームが家庭用ゲーム機じゃん」とするどいチェックの読者ちゃんもいると思うが、アクションゲームはPCからSFCへ、スコアー争いはネットにより隣席から見知らぬ人に、という環境変化で、個になっていくわけですな。

職場仲間を「クソッ、あいつぜってーブッ殺す」とまで熱くさせてくれたBio_100%には、感謝してもしきれません。仕事で負けてもゲームで勝てば、当時のゲーム雑誌編集部では全然オーケーだったんですよ。

三宅ポル助

パソコンゲーム総合雑誌『ログイン』の元編集者。現在はアスキー・メディアワークスのPC情報雑誌『週刊アスキー』の編集者。SMC-777から、MSX数台、PC-CLUBやPC-386、X68000、Amiga、Macなどを所有するも、実はPC-9801(9821含む)を1台も買ったことがない。携帯は東京デジタルホン、ゲーム機はセガ、という、そっち系の性格。

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