

- -NEWさんが音楽に興味を持つようになったきっかけを教えてください。
- NEW:自分の作ったゲームに音楽をつけたかったというのが大きいですね。小さい頃にエレクトーンは習っていたんですけど、それは兄のfinが先に習っていたから僕も始めたようなものでして、実はイヤイヤ通っていました。
- -実際にゲーム制作や作曲に興味を持ち始めたのはいつ頃だったのでしょうか?
- NEW:中学になってプログラミングを始めてから、ゲームを作りたいと思うようになりました。で、グラフィックなんかはドット絵だったら自分でなんとか描けないこともないですけど、音楽っていうとちょっと難しいんですよ。素人がすごいものを作れる世界ではないですし、かといって頼める人も周りにいない。それなら自分で勉強してみるかという感じで。
- -影響を受けたアーティストがいたとか、そういうわけではないんですね。ちょっと意外です。
- NEW:そうですね。まずゲームありきで、そこから音楽に興味を持ち始めましたね。ちょうどゲームミュージックが盛り上がってきて、『アウトラン』などの歴史的な作品が出た時期と重なりますから、影響を受けたとすればそのあたりでしょうか。
- -なるほど。では細野晴臣さんの『ビデオゲームミュージック』のLPなんかは……。
- NEW:もちろん基本ですね(笑)。
- -実際の作曲についてはどのように学んでいったのでしょうか?
- NEW:本格的に作曲というものを習ったことはないんですよ。ただエレクトーンを習っていたときの記憶から、コードはここから始めなくちゃいけない、戻るときはこのコードを通過しなきゃいけない、というようなことはなんとなくわかっていましたね。その知識を糧としながら旋律を組み合わせていって、違和感がないように仕上げていく。そんな感じで作っていました。
- -イヤイヤながら習っていたエレクトーンが、思いも寄らぬところで役に立ったと。
- NEW:はい。結果的には習っていてよかったということになりました。
- -ご自身の曲をつけた自作ゲームというのはどこかで公開していたのでしょうか?
- NEW:それがプログラミングをしているよりも音楽を作っているほうが面白くなっちゃいまして、結局ゲームは1本も完成させていないという……。作りかけなら大量にあるんですけど(笑)。



- -PCを使うようになったきっかけを教えてください。
- NEW:父親が「これからはコンピューターだ」といって、何もわからないまま秋葉原へ行き、PCを買ってきました。うちは3人兄弟で、真ん中がfin、一番下が僕なんですけど、一番上の兄がそのマシンを使っているのを見て、僕も触るようになりましたね。
- -購入してきたマシンというのは?
- NEW:PC-8801mkⅡです。そしてその年の冬にPC-8801mkⅡSRが出て、衝撃をくらうことになるわけです……。『テグザー』以降、SR専用ソフトばかりになってしまって、マイナー地獄を味わいましたね。その時、もうソフトは自分で作るしかないと思いました。逆に考えれば、自分でプログラミングを学んでいく上でのよいモチベーションになったわけですけど。
- -では、パソコン通信はどのような経緯で始められたのでしょうか?
- NEW:今いる会社に入ったとき、フリーソフトのゲームをフロッピーディスクに入れて持ってきている人がいまして、遊ばせてもらったらかなり面白かったんですよ。で、僕もその世界に興味を持ち、アクセスしてみようかなと思いました。それがきっかけです。
- -やはりそこでもゲームがトリガーになっていたわけですね。
- NEW:そうですね。ゲーム用の曲をたくさん作ってはいたんですけど、披露する機会というのが全くなかったので、よかったらフリーのゲームで使ってもらえないかなぁという考えもありました。そしてアクセスしてみたら、そこがたまたまSTUDIO☆FEMYだったと。
- -運命的ですね。当時、数あるBBSからSTUDIO☆FEMYを選んだ理由というのは?
- NEW:会社で遊ばせてもらったフリーのゲームのドキュメントを見たら、STUDIO☆FEMYのアクセス先が書いてあったんです。どのゲームだったかまでは覚えてないですが、その中にはすでに『蟹味噌』もありました。
- -STUDIO☆FEMYをスタート地点として、そこからどんどんパソコン通信にハマっていったわけですね。
- NEW:はい。finのインタビューにも書いてありましたが、そのとき『MJ』というゲームがSTUDIO☆FEMYで公開されていまして、すでに曲はついていたんですが、後から割り込むような形で「使ってください!」と僕の曲をアップロードしたんです。そうしたら次にアクセスしたとき、もうその曲がゲームに組み込まれ、しかも大絶賛されてまして。これは面白い、もうやめられない、となりましたね。
- -メンバーの方々はパソコン通信の電話代に四苦八苦されていたようですが、やめられなくなったNEWさんはいかがでしたか?
- NEW:もう時効だから言っちゃいますけど、僕の場合は会社からアクセスしていたので、電話代は特に気にしていませんでした(笑)。
- -他のメンバーが聞いたら拳が飛んできそうなカミングアウトですね(笑)。ハンドルネームはその頃からNEWを名乗っていたんですか?
- NEW:当時のアーケードゲームのネームエントリーが3文字だったので、中学の頃からNEWでした。Nは僕の名前の知稔(のりとし)から取っていて、EとWはそのとき好きだった子のイニシャルなんです。片思いだったんですけどね。



- -STUDIO☆FEMYでの出来事を経て、フリーのゲームに曲を提供していくようになったわけですね。
- NEW:当時、こんなにエキサイティングなことはないだろうと思いまして、僕だけじゃもったいなんで、finにも一緒にやろうと声をかけました。最初は様子見がてら僕のアカウントでアクセスしていましたけど、すぐに彼も自身のアカウントを取得し、2人で曲を提供するようになっていきました。
- -作曲はどのようなスタイルで行っていたのでしょうか?
- NEW:finは「口ずさめる曲」なんて言ってましたけど、僕はそういうポリシーは全然なくて、メロディーが思い浮かんだらメモしておくという感じでした。こういう曲を作ってほしいと言われたとき、finはドカドカと作れるんですよ。でも僕はのったときしか作れない。だから普段の生活の中でよいメロディーが浮かんだらとにかくメモ。そこに後から肉づけをしたりして曲を作っていましたね。
- -ゲームを見て、それに合う曲を作るという流れではなかったんですね。
- NEW:違いますね。僕はそれができないタイプで、ゲームミュージックを作っているという意識もあまりなかった。でもゲーム以外には使えないだろうという曲ばかりたくさん出来上がっていくので、それらの中から作品に合うものを選んで使ってもらいました。
- -Bio_100%にはどのような経緯で参加するようになったのでしょうか?
- NEW:ある日突然、「今日からBio_100%だよ」とfinに言われまして(笑)。
- -かなり唐突ですね。
- NEW:Bio_100%って『SuperDepth』とか作ったあのBio_100%だよね? えー!? という感じでいつの間にか参加が決まっていました。finのインタビューに、Bio_100%への参加をaltyにお願いしたという話がありましたけど、そのときに僕も一緒にと頼んでくれたんでしょう。
- -その日を境にして、Bio_100%の作品に曲を提供していくようになったと。
- NEW:そうです。でも、今回のCD制作プロジェクトに当たってすべての作曲者を調べたんですけど、僕の曲ってほとんどないんですよ。
- -そうなんですか? 『Finalty』や『Dynamo』、『ろりろりろーりんぐ』などにも関わられてますよね?
- NEW:ええ。僕はそのときにFM音源を鳴らすための『竹屋システム』というドライバも作っていて、まだベータ版の段階にも関わらず最初に使ってくれたのが、metysの『ろりろりろーりんぐ』でした。そのあたりから僕がドライバ担当、finが作曲担当という内訳にだんだんなっていきましたね。
- -なるほど。そうした役割分担が為されていたわけですか。
- NEW:でもそのうち『竹屋システム』の制作もストップして、曲も作らず、何もやらなくなってしまったという……。その罪滅ぼしという意味も込めて、今、一所懸命CDを作っています!
- -当時、Bio_100%に参加していて何が一番楽しかったですか?
- NEW:何でも楽しかったですよ。ネットを通じて日々コミュニケーションをとっているというだけで楽しかったですし、それを経て作品が完成していくという過程も面白かった。あの異常なテンションは、今ではちょっと考えられないですね。ものすごい勢いでいろんなことをやっていましたから。若さゆえのパワーでした。
- -そうしたBio_100%での活動が、ご自身のその後に与えた影響は?
- NEW:大きな会社に属するのではなく、ベンチャーでやっていこうと思うようになりましたね。Bio_100%の雰囲気やノリって、ベンチャーのそれと似ているんですよ。だから僕も、自分の腕で食べていけるようなエンジニアになろうと決めました。


- 【NEW data】
- ●ハンドルネーム:NEW(ニュー)
- ●本名:市川知稔(いちかわのりとし)
- ●生年月日:1972年3月25日
- ●出身地:埼玉県
- ●現在の職業:エンジニア
- ●既婚 or 未婚:既婚
- ●血液型:B型
- ●趣味:インターネット
- ●好きな食べ物:肉
- ●好きな当時のゲーム:
『ウイニングラン 鈴鹿GP』

- -今回の音楽CDプロジェクトはどういった経緯で始まったのでしょうか?
- NEW:僕からaltyに声をかけました。僕はmixiを始めたのがすごく遅くて、2007年の12月頃だったんです。で、覗いてみたらaltyやmetysといった懐かしいメンバーがいて、そういえばBio_100%とかやってたよなぁと改めて思い出し、検索してみたら色々な人がBio_100%について書いてくれている。当時小学生だったという人もいれば、青春だったと言っている人もいたり。こんなに影響を与えていたんだと、この時初めて知りました。そしてさらに調べていったら、当時の曲なんかがポロポロ見つかりまして、中には個人でアレンジしてくれている人もいた。懐かしさと嬉しさで、自分が作った曲もあるかなと探してみましたが、これがなかなか見つからない。ならば、今もファンでいてくれる人のためにも、そして自分自身のためにも、曲を1ヵ所にまとめる必要があるだろうと思ったんです。
- -CD化にこだわったのには何か理由があるんですか?
- NEW:ダウンロードできるサイトを作って、MP3か何かで提供するということも考えたんですけど、やはり活動してきたものを形として残したいと思いまして、CD化という方法を選びました。
- -一言でCD化といっても、オーケストラの使用やプラハでの録音など、かなり大掛かりなプロジェクトですよね。
- NEW:自主制作で自己満足レベルのものができればよかったんですが、一応altyには話しておいたほうがよいだろうと考え、構想を固めてデータもほぼ探し出して、まとめられるという道筋が見えたところで伝えました。そうしたらタイミング良く、このサイトの企画と重なったようで、altyもCD化の話に快くのってくれました。気がついたら、なんだか話が大きくなっていましたが。
- -ではこのサイトとCDの話はたまたま重なったんですか?
- NEW:そうなんです。最初からサイトを立ち上げてCDを作ろうと企画されていたわけではなく、ホントにたまたまタイミングが重なっただけなんです。
- -集大成ともいえるその音楽CDは、いつ頃、どのような形でお目見えするのでしょうか?
- NEW:配布形態については現在思案中ですが、そう遠くない未来にファンの方々へお届けできると思います。
- -Bio_100%の楽曲をCD化するという野望の達成は目の前ですが、さらに今後やってみたいことはありますか?
- NEW:もし叶うのであれば、Bio_100%の楽曲を生のオーケストラでファンの方に聞かせたいです。それが次なる野望です。
- -最後に、NEWさんにとってのBio_100%とは?
- NEW:夢を実現するところ、ですね。
(収録日:2008/9/21)
