Bio_100% members interview

INTERVIEW:恋塚

もう、今でもチャットが大好きで

Bio_100%の技術屋。ライブラリ『master.lib』は、Bioの枠を超えワールドワイドに愛された。

4ビットのワンボードマイコンをいじる小学生モニターを見ずにチャットをする高校生

-Bio_100%のメンバーの中では、ハンドルネームで本名を名乗っているのは恋塚さんだけですよね。
恋塚:あ、そうかもしれないですね。“戀”を新字にはしていましたけど。
-では、最初にコンピューターに触れた経緯を教えて下さい。
恋塚:小学校の3~4年くらいに、親に4ビットのワンボードマイコンを買ってもらったんですよね。製品名は覚えてないんだけど、それが最初です。それでプログラムをやるようになって。
-4ビット……。そんなに古くから、しかも小学3~4年ですでにコンピューターをいじられていたとは驚きです。
恋塚:PCやMZなどの一般的なパソコンでいうと、多分PC-6001あたりが最初です。当時はAppleⅡeなんか憧れていたんですけど、店頭でいじったりしたぐらいで買えなかった。中学の先生がAppleⅡeを持ってたんですよ。モッキンボードつけてプレイした『ウルティマ』の音を録音してきて、生徒の前で再生したりする先生がいたんです。
-それは相当個性的な先生ですね(笑)。では、恋塚さんが、最初に勉強したプログラミング言語というのは……?
恋塚:4ビットの機械語ということになりますね。プログラミング言語としては一番原始的なやつ。6001の時はBASICです。そのあと、Z80の機械語を。機械語はBASICに比べて圧倒的に速いですが、入力を1文字間違えると飛んで消えちゃったり。雑誌のプログラム掲載も、最初のころはベタにダンプだったんで、目を皿のようにして間違い確認しなければいけなかったんですけど、そのうちOh!MZとかで縦横のチェックが発明されて、安心して打ち込めるようになった。雑誌にダンプ打ち込みソフトとかのソースも載るようになったんですよね。
-Oh!MZ、懐かしいですね。他にも、当時読んでいたPC誌はありますか?
恋塚:マイコンとか、I/Oとか、ASCIIとか、メジャーどころは一通り……。あとTHE BASICやPiOなんかも読んでましたね。やわらかいところでは、マイコンBASICマガジン、テクノポリス、あと小学館の……何でしたっけ?
-ポプコムですか。
恋塚:そう、ポプコム。(うる星やつらの)ラムの絵をよく使ってたことが印象に残ってますね(笑)。
-小学館ですから、ポプコムはそのへん強かったですよね。
恋塚:テクノポリスは、新機種出るたびに基板をバーンと載せたりしていましたね。
-ありましたね。PCのベンチマーク対決みたいなことをしたり。それにしても、相当な数のPC誌を読まれていたんですね。
恋塚:あと、JR-200の消しゴムキーボードは本当に字が消えるのか? とかやってた雑誌もあったなあ(笑)。あの頃は、ハードなことにも片足突っ込みながら、おかしなこともやる……みたいな雑誌が多かったですよね。
-確かに、PC誌みんなに異様なパワーみたいなものがあった時代でした。その後、恋塚さんが、パソコン通信を始めるようになった経緯というのは?
恋塚:元々興味を持っていたところ、アイワが、300ボーの安いモデムを出したんですよ。それがキッカケですね。高校に入ってすぐくらいの頃で、PC-9801のVM2で通信してました。
-なるほど。どこのホスト局につないでいたんですか?
恋塚:まず、ASCII-NETは2000円くらいのガイドブックが売ってて、それに入っていた申し込み書で加入した記憶があります。他に、草の根系はたくさんありましたね。
-当時の面白いエピソードなどありましたら教えて下さい。
恋塚:よくチャットしてたんですけど、最初の時期は漢字がなかったから、日本語チャットはみんな「半角カナ」なんですね。誤変換というのは全く無く、打ち間違いしかないので、自分の発言を画面で確認する必要がない。当時、エコーバックオフといって、自分の発言表示を消してチャットしてたんですが、自分の打ち込んだ文字は見えなくても、打ち間違いは気がついていました。「あ、5文字前に間違えた」と思ったら、バックスペースを5回押して移動して……というのを、すべて頭の中でやっていましたね。
-すごい世界ですね。脳内にバッファがあるような(笑)。

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ワールドワイドに使用された『master.lib』そのネーミングに隠された驚愕の事実!?

-それから、Bio_100%には、どういう経緯で参加することになったのでしょう?
恋塚:femyが自ら主催する草の根BBS「STUDIO☆FEMY」で、台形を描画するライブラリを公開したんですよ。そのソースコードに、「挑戦者求む」と書いてあったんです。「これより速いコードを書ける奴はかかってこい」みたいな(笑)。まぁ、それにのったのが始まりですね。当時僕は、色んなところで、色んな人と、そういう高速処理対決みたいなことをやっていたんですよね。
-道場破りのようでかっこいいですね(笑)。STUDIO☆FEMYは色んなクリエイターが集まったBBSだと聞きましたが、恋塚さんもその1人だったというわけですね。
恋塚:そうですね。他にも、ISL-NETというfinが開いてたBBSでも、そういう技術的な話をしたり。
-では、STUDIO☆FEMYやそういうところで、Bioの色んな方々と接触してメンバーになっていったと。
恋塚:そうだと思います。あとASCII-NETでもよく絡んでいたかな……。あまり覚えてないんですけど(笑)。
-恋塚さんはBio_100%ではライブラリ屋的なポジションで、恋塚さんのライブラリをメンバーの方々が使って数々の名作が生まれていきました。その有名なライブラリ、『master.lib』について簡単に教えて下さい。
恋塚:要は、いろんなものが入ったPC-9801用の雑用ライブラリなんですが、発端は、さっき話したfemyの台形を描画するライブラリなんです。それをベースに発展させた、高速多角形描画ライブラリというのがあったんですね。ま、ポリゴン表示ということですけど。それ以外にも僕は色んな機能のライブラリを作っていたので、それらをまとめつつ、他の人が作ったライブラリまでも統合して、最終的に『master.lib』としたんです。
-なるほど。『master.lib』を作ろうと思った経緯というのは……?
恋塚:どこかのBBSで、「マスターベーションライブラリ」というスレッドを立ててた人がいたんですよ。要は、その人が自分で作りたいというだけだったんですけど(笑)。そこで、マスターベーションはスペルが「Mastur」なんですけど、僕がライブラリを作るなら「Master」でやりたいみたいな雑談もしていた。で、実際にライブラリを作ることになった時に、そういえば前にそんな話をしていたな……と思い出して、名前をいただいたんですね。
-むむ……。マスターベーションが発端というのは、驚愕の事実ですね。
恋塚:はい。由来としてはかっこよくないんです(笑)。
-でも、ここまでおいしい話は確実に書きますけど(笑)。
恋塚:では、それだけではナンなので、もう1つの由来も話しましょう。BioメンバーのKazumiさんが作った『super.lib』というグラフィックライブラリが元々あって、『master.lib』の一部になったんですけど、その「スーパー」を取り込むなら「マスター」だろうという、そういう意味合いもあったりします。
-なるほど。ダブルミーニングなのですね。当時、そういった開発用ライブラリを提供してよかったと感じた部分をお聞かせ下さい。
恋塚:まず『master.lib』はシェアウェアで公開していたので、ちょっとしたお小遣いにはなりました。結構みなさん広く使ってくれたんで、98の時代は有名にもなりましたし。あと、『master.lib』を使って、ジャグリングの練習用ソフトを作った人がいたんです。『master.lib』では、98とDOS/Vの自動検出と、両対応する機能がついてて、それによって、PC/AT互換機でも動くようになった。それによって、ジャグリング界隈では、世界中であのソフトが使われたらしいです。
-ワールドワイドですねぇ……。当時、98用に使ったゲームでも、『master.lib』さえ使っていれば、そのままPC/AT互換機でも動いたというのは、すごいことですよね。altyさんが作った『Finalty』も、98版もPC/AT版もありますが、PC/AT版のほうはaltyさんがほとんど何もやらなくても、『master.lib』使ってるだけでそのまま遊べたという。
恋塚:Windowsのようなことを、ライブラリが1人でやっているんですよね。
-そういう開発用ライブラリを作る上で、恋塚さんが大切にしていたことは?
恋塚:自分が使いやすいように作っていただけなんですけどね。あとは速度でしょうか。速度と、ファイルサイズとかを小さくするという部分にはこだわって作ってましたね。

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【恋塚 data】
●ハンドルネーム:恋塚(こいづか)
●本名:戀塚昭彦(こいづかあきひこ)
●生年月日:1970年12月19日
●出身地:東京都
●現在の職業:
株式会社ドワンゴ ニコニコ動画 開発総指揮
●趣味:ニコニコ動画鑑賞、Twitter
●一番好きなBio_100%のゲーム:
『CarⅡ GRANDPRIX』
●既婚 or 未婚:新婚

パソ通時代にハマった「チャット」に現在の恋塚氏の活動の原点がある

-恋塚さんは、ライブラリだけでなくゲームタイトルの開発にも関わっていますよね。Bioの作品でいえば、『Finalty』、『Carax'95』……。
恋塚:あとは『WinDepth』とか、『KANIMISO64』とか、Windows版になってからは、何本かで開発に参加しています。DOS版のときは、『Finalty』とかも、ほとんどDOS/V対応作業でしたので、ゲーム本体はあまりタッチしてないですね。
-恋塚さんが関わったBioのゲームで、一番のお気に入りといえば……?
恋塚:『Carax'95』は、ずいぶん遊びましたね。いつまでもやっていました。あと、開発には関わってないですが、『CarⅡ GRANDPRIX』は燃えました。リプレイデータを競えるんですよね。で、色んな人のプレイデータを入れて配布されたりして。
-当時Bioで活動をされていて、どんなことが楽しかったですか?
恋塚:色々と、みんなでちょっかい出し合えるというのは楽しかったですよね。誰でも意見を出せて、気に入られれば採用される。そういうのが誰でも気軽にできる。あるいは、直接修正してしまって、それを取り込んでもらうこともできますし、逆に自分が作ったものに対しては、その反対の立場に立てる。そういうのは面白かったですね。
-やはり、そういった当時の活動が、恋塚さんに与えた影響は大きかったと言っていいでしょうか?
恋塚:そうですね。もう、チャット好きになりましたしね。今もTwitterにハマっていますけど、あれもチャットの現代版ですからね。ニコニコ動画も、最初のプロトタイプの段階では、ほとんどチャットだったというのもありますし。
-今、ニコニコ動画のお話が出ました。ここを読んでいるBioファンには説明不要かもしれませんが、恋塚さんは現在、株式会社ドワンゴで、ニコニコ動画開発の総指揮を取られていますね。
恋塚:はい。ニコニコ動画に関するいろんな新規開発をしています。あと、ユーザーからの意見の吸い上げを直接やったりしてますね。今は丁度、ニコニコ生放送の次のシステムを作ったりしているところです。
-現在の会社で、今後やってみたいことは?
恋塚:チャット好きというのもあるんで、基本的には、そういうコミュニケーションを主体とした開発、サービスに今後も力を入れていきたいですね。今は日本でそういうサービスといえば、ニコニコ動画も代表的なものの1つになりましたんで、そのポジションを活用して色々やっていくのが楽しいかなと。
-最後に、恋塚さんにとって、Bio_100%とは何だったのでしょうか?
恋塚:みんなで集まってワイワイもの作りを楽しんでいた仲間たちですよね。それで知り合った人たちは今でも付き合いがあって。
-かけがえのない財産を与えてくれた存在でもあるわけですね。
恋塚:ニコニコ動画の開発者としてマスコミに紹介される時も、昔のことを話題にすると、僕のことを思い出してくれる方がいっぱい居た。それもBio_100%のおかげですね。

(収録日:2008/9/21)

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