Bio_100% members interview

INTERVIEW:femy

人が寝ていようが深夜だろうがピーピー呼び出すんですよ(笑)

Bio_100%の源流となるSTUDIO☆FEMYを運営。技術や場を提供して、それを仲間が使う

パソコン通信のきっかけは、ワープロの文豪MINI ホスト運営のために、カンパを募ったりもした

-femyさんのハンドルネームは、もしかして「フェミニスト」からきているのでしょうか?
femy:何ですかいきなり(笑)。まあよく言われるのですが、実は全く関係無かったりします。自分の名前の「ふみたけ」を「ふぇみたけ」とまずひねって、それを省略して「ふぇみい」にしただけなのですよ。
-PCを始めた経緯を教えて下さい。
femy:初めてPCに触ったのは、中学の頃ですね。親戚の1つ上のお兄さんが持っていたPC-6001やPC-8001で、ちょいちょいゲームを遊ばせてもらっていたんです。で、自分も高校入学と同時に、親に少しお金を出してもらってFM-7を買った。ディスクドライブはまだないので、テープでゲームをしていましたね。とにかくゲームがやりたかったというのが購入理由です。
-最初はどんなゲームで遊びましたか?
femy:最初に買ったのは確かハドソンのゲームだったと思うんですが…。でも、何といっても夢中になったのは中村光一さんの『ドアドア』ですね。実は中村光一さんは大学の先輩なのですが、それは偶然ではなく、僕が彼を追いかけて同じ大学に入ったのです(笑)。『ドアドア』の他にも、エニックスのコンテスト受賞者の作品はいくつかプレイしてましたね。
-当時、エニックスのPCゲームのクオリティーはナンバー1だったと言っても過言ではないですよね。コンテストを開いて優秀作品を発売するやり方も新しかった。
femy:あとは個人的にはT&E SOFTですかね。『惑星メフィウス』のシリーズには色んな意味でハマりました。あの砂漠のマップはひどいですよね(笑)。思わずBreakキーでゲームを止めて、BASICのリストを出して解読しちゃいましたよ。
-ソフトによって、ソースも簡単に見ることができる時代でしたよね。全くプロテクトがかかってないソフトもザラで。
femy:そんなことをしているうちに、今度は自分でゲームを作りたくなった。当時『ハイドライド』あたりに感化されて無理矢理FM-7でアクションRPGっぽいゲームを作って、人に見せたりしていたんです。大学受験間近の時期だったわけですが、化学が嫌いなので化学が必要ない大学しか受けるつもりがなかった。それで、化学の授業の時はノートにゲーム制作に必要なルーチンを書いているわけですよ(笑)。で、先生に見つかって、「お前、化学必要ないなら出て行っていいぞ」とか嫌味を言われたりしていました。
-そのあと大学受験のほうは……?
femy:めでたく1浪しました(笑)。でも、浪人中はPCに一切触れずに勉強して、東京の大学に合格しました。そのあとFM-77AVを買ったんですが、大学3年くらいまでは勉強が忙しくて、ゲーム作りはほとんどできませんでしたね。FM-77AVやファミコンでゲームはしていたんですが、プログラミングからは遠ざかっていました。高校のときにPCで遊びすぎて浪人したのがトラウマになっていたんでしょうね。真面目に勉強しないといけないような気がして、一生懸命単位を取ってました。
-では、パソコン通信をやるようになったきっかけは?
femy:大学3年の頃に、パソコン通信の雑誌をたまたま見たんですね。で、当時勉強で使うために持っていたNECの「文豪MINI5」というワープロは、なんとモデムをつないてパソコン通信ができたんです。
-名前は覚えていますが、あのワープロはそんな使い方ができたんですね。それがfemyさんのパソコン通信初体験ですか?
femy:ですね。当時僕は東京03局番外のところに住んでいたので、多摩地区の草の根BBSをまわってみたものの、みんなノリがイマイチで……。八王子に少し面白いBBSがあったんですが、今度はシスオペがちょっと付き合い難いタイプだった(笑)。それだったら、僕にも出来そうだし自分で運営してやろうと思ったんです(笑)。
-それであの草の根BBSホスト局「STUDIO☆FEMY」を作ることになったわけですね。
femy:はい。今から考えると、自分はそういう「場」のようなものを提供して、皆さんどうぞお好きに使って下さい……というのが好きなタイプの人間だったようですね。
-ホスト局運営の苦労話、面白話などがあればお聞かせ下さい。
femy:とにかくお金が掛かった。当時はまだ学生なのでお金もない。バイト代などを相当つぎこんでいましたね。最大で5回線を自宅に引いていたんですけど、そのためにカンパを募ったりしていましたから。すると、たまに大人の方が1万円とか振り込んでくれたりして、そういうのをありがたく頂いたりしながら運営していました。あと失敗だったのが、BEEP音でシスオペを呼び出せる常駐プログラムを自作で組み込んでしまったんですね、自分のホスト局に。すると、みんな人が寝ていようが深夜だろうがピーピー呼び出すんですよ(笑)。そうやって何度チャットに引き込まれたことか……。
-自分で作ったものが仇になってしまったと。当時、シスオペを呼び出してチャットができるなんて画期的ですよね。いまなら有料サービスですよ(笑)。

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優秀なクリエイターに、ゲーム作りの素材を提供する喜び しかし、自らゲームを作り上げたこともあった

-その後、femyさんがフリーソフトを作ろうと思った理由を教えて下さい。
femy:当時、エプソンのPC-286シリーズを買って色々プログラミングしていたんですが、その時すでにASCII-NETのjunk.testに色んなフリーソフトがアップロードされているのを見ていて、自分も何か載せたいなと思ったのがきっかけでした。僕は、役に立たない怪しいスクリーンセイバー系のソフトなんかを作って載せていたんですけど、それが始まりだったと思います。
-そういうのをaltyさんが見つけてSTUDIO☆FEMYにやってきたんですね。偶然2人が多摩地区に住んでいたのが運命的だったんですね。
femy:そうですねえ、本当に。
-altyさんにオンラインでC言語を教えていたと聞いたんですが。
femy:彼は知り合ってすぐの頃、うちに遊びにきたんですよ。彼は物理学専攻で、物理シミュレーション的なものをプログラム化することに長けていた。それでその場でBASICでガーッとプログラムして、綺麗な動きのデモを作ったりするんですよ。それを見て、「この人がBASICしかできないなんて勿体無い」と思ったんですよね。
-いい話ですね。ダイヤの原石であるボクサーを発見して、それを磨き上げるセコンドのような(笑)。ところでSTUDIO☆FEMYはログイン画面に「Multi-Media Creators' Inn」みたいなキャッチが入っていて、altyさんの他にもクリエイターが続々集まってきたと聞きますが、なぜクリエイター向けにしたんでしょう?
femy:「マルチメディア」って、既に死語ですよね(笑)。さておき、大学に進んだのは親を安心させるためだったんですけど、本当は高校卒業と同時にゲームを作る会社に就職したかったくらいの情熱を持っていた。なので、せっかくBBSのホスト局をやるなら、そういったクリエーターを目指す人たちに集まって欲しかったんです。そういう系統のホスト局は当時ほとんど無く注目を集めたようで、実際にBio_100%のKazumiさんという方は、広島からわざわざ多摩まで直接アクセスしていました。電話代がすごい事になっていたと思いますが(笑)。
-femyさんはBio_100%の中では特殊なポジションでした。ゲーム作りを主導するというよりは、技術やライブラリを提供して、それを他の仲間が使う事で色んな素晴らしいゲームが生み出されていったという。
femy:たいした物は提供していないような気もしますが……(汗)。でもBGMのライブラリはみんなが使ってくれました。具体的にこういうのを作ろうとかいうのがあまり思い浮かばないタイプなので、自分が用意したもので人が何かいいものを作る……ということに期待してしまうんです。
-「BGMLIB」など、femyさんがそういった開発用ライブラリを作る理由は、やはり先程おっしゃられていた「みんなに色んなものを提供したい」というところからきているんですね。
femy:その通りですね。
-一方で、ご自身で開発中のゲームもいくつかあったとうかがってますが。
femy:PC-9801では、暗闇の建物でスポットライトを避けるアクションゲームとか、拡大文字表示を使ったテキストノベルゲームとかを作っていましたが、途中で頓挫してしまいました。当時僕は社会人になって仕事が忙しくて時間が取れず、ホスト局のほうも全然タッチできないような状態になりつつあったんですね。そして段々とフリーソフト開発というものからもフェードアウトしていってしまった。……あ、でも僕がたった1つだけ100パーセント自分で完成させたゲームがありました!
-それはどんな……?
femy:『テ○○ス』という、某ゲームメーカーの名前をタイトルに持ついわゆる落ちゲーなんですけど。僕がこのゲームを作ったのには事情があって……もう時効だから言ってしまいましょう。当時、あるフリーソフト作家が、既存のゲームにそっくりなゲームを作って、そのメーカーから配布禁止や削除を求められるという出来事があったんですね。当然といえば当然なんですけど(笑)、当時そういった圧力に対して、フリーソフト作家たちはみんな怒りを持っていたんです。それで一時期、BioやSTUDIO☆FEMYなどという枠を超えたフリーソフト作家たちの間で、そのメーカーに抗議する動きがあったんです。ドキュメントに「テ○○ス関係者は使用禁止です」とか書いたり……。
-そんなムーブメントがあったとは(笑)。
femy:で、僕はそれだけでは飽き足らず、その元になったゲームをあえてつまらなくアレンジして、『テ○○ス』を作ったんです。これがもう本当につまらない(笑)。ゲームオーバーになるとそのメーカーに対する挑発的なメッセージが出たりもします(笑)。
-そこまでいくと、メーカーへの抗議というよりは「ネタ」の部類ですよね。ネタにそこまで労力をかけるとは……。シャレ効き過ぎです。

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【femy data】
●ハンドルネーム:femy(ふぇみい)
●本名:淀文武(よどふみたけ)
●生年月日:1968年1月27日
●血液型:B型
●出身地:広島県
●現在の職業:某ゲーム関係の会社員
●好きな当時のゲーム:『ドアドア』
●好きな食べ物:ニク
●好きな言葉:
来る者拒まず、去る者追わず
●一番好きなBio_100%のゲーム:
『NyaHaX'93』

パワーのないプラットホームだったからこそ 純粋に面白さを追求できた時代だった

-femyさんが当時、一番楽しかったことは?
femy:ドキュメントを書くことですね(笑)。プログラムを書きながらも、ドキュメントのことで頭が一杯でしたから。ドキュメントで主張したいがために、プログラムを公開していたと言っても過言ではありません。
-metysさんも似たようなことを言っていたような……。femyさんは、どこかの雑誌で記事を書かれていたという話を聞いたんですけど。
femy:ちょこっとだけ。あまり仕事という認識ではやっていなかったですけど。もし学生当時、ライターになるという選択肢を思いついていたなら、そういう道に進んでいたかもしれません。自分の文を読んで人がどう思うかと考えるのが好きでしたね。
-だからドキュメントの文章を書くのも好きなんですね。
femy:そうですね。自分の書いた文章をBBSで公開して読んでもらえるなんて、すごいことだなあと当時は思っていました。
-当時の活動が現在のfemyさんに与えている影響は?
femy:ゲーム業界にも時代と共に若い世代が入ってきますが、ゲームの本質を解って制作をしている人は、どれくらい居るのかなと思うことがありますね。当時僕たちは、PC-9801というハード的に力のないプラットホーム上で、純粋に面白いものを作ることを追求していた。今のハードはあり余るパワーを持っていて、「データ量こそゲーム」的なところがありますけど、ゲームの本質はそうじゃないんだということは、当時学ばせてもらいましたね。ゲーム制作に限らず、僕は何をするにしても本質を追求しないと気に入らないんです。ゲームもそうですが、技術の世界がまだ今のように複雑でなく、少し頑張れば本質に手が届いた時代。いい経験をさせてもらいました。
-今後新しくやってみたいことはありますか?
femy:昔は作品を作っても得られる反応はPC上だけだったりしたので、今度は人を喜ばせた反応を直接得たいという願いがありますね。お客さんと直接接して、反応をもらえる場を持ちたいというのは昔からあります。
-それは例えば、お笑いライブのような……?
femy:そこまでいかなくても、まぁ例えばバーでも花屋でも、自分の作ったものを直接提供できる空間があれば何でもいいんですけどね。
-femyさんにとって、Bio_100%とは、STUDIO☆FEMYとは何だったのでしょうか?
femy:完全に社会人になってしまった現在は、何か新しいことに挑戦することに大きな恐怖を感じるようになってしまった。でもあの当時、学生から社会人になりたての頃にかけての活動というのは、やりたいことを怖がらずにやって自分を表現できた唯一の時間でしたね。そして、自分に自分の志向をストレートに追求できる素質があるということを確認できた、貴重な経験でもあったと思うのです。

(収録日:2008/6/15)

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