Bio_100% members interview

INTERVIEW:alty vol.1

分かりやすく遊べるゲームがフリーソフトとしてあれば

Bio_100%の代表でありスカウト担当。フリー
ソフト大賞部門賞の「Super Depth」を開発

ファミコンの衝撃がaltyの創作意欲を奪う しかしfemyとの運命的出会いが全てを変えた

-それでは最初に、altyさんが、PCを購入した経緯を教えて下さい。
alty:近所の電気屋や友達の家にMZ-80やPC-8001があって触れていたんです。とにかくテレビゲームが好きだったので、PCがあれば家でゲームを遊べると思いつつPC-8001mkⅡを買ってもらいました。それで、雑誌などに載っているBASICのリストを書き直して遊んだりしているうちに、いつの間にかある程度のゲームが作れるようになった。でもそのうち、画面を上下左右に「スクロール」させるのはBASICだけではできないと分かって、数学の先生にマシン語を教わりに行くんですが、根本的な説明はしてくれるものの具体的には全然教えてくれなくて。それで、結局自分でZ80のマシン語の勉強を始めました。
-なるほど。では、そこから意欲的にどんどんゲームを作っていったと……?
alty:そうでもないんです(笑)。高校に入って少ししたらファミコンが出てきたんです。PCよりはるかに安いのにスプライトが高速に動かせる。PCの方が得意なジャンルはあるにしても、ファミコンの描画のスムーズさは僕にとっては圧倒的でした。
-確かに、当時ファミコンのゲームのクオリティーは衝撃でした。
alty:その頃もMZ-1500を使っていて、ゲーム制作はひとりでやっていました。作ること自体の楽しみは十分に感じていたんです。でも作ったゲームを友達に見せることはあまり無かったですね。一緒にファミコンで遊ぶほうが楽しいし、なによりファミコンゲームと比較されると悲しいので(笑)。その後、段々とゲームを作ることのモチベーションも下がっていきました。PC-9801を買ったのは大学4年になってからなんですが、その頃は市販のPCゲームのクオリティーも高くなっていて、今度はPCゲームを遊ぶのにも夢中になってしまい……。そんなある日、兄が突然モデムを持ってきたんです。
-お兄さんがすでにパソコン通信をやっていたのですか?
alty:いえ、たまたま誰かから貰ったんだと思います。で、その頃のPC雑誌にパソコン通信の記事があったので、そういうのを見ながらつないでみたわけです。
-それがaltyさんのパソコン通信の始まりですね。
alty:はい。でも学生だし、最初は無料のBBSを探すことから始まりました。NIFTY-ServeやPC-VANは有料で、クレジットカードが無いとできない。さらに当時僕が住んでいたのが府中市で、東京03の局番ではなかったんです。03のところには電話代が高くなるからかけられないので、市内か隣りの市くらいでBBSホスト局を探してつないでみると、無線好きおじさんがやっているようなところばかりで全然面白くなかった(笑)。手当たり次第に色んなBBSにアクセスし続けていたんですが、そうしているうちにセンスも良くてクリエイティブなイメージを感じさせるBBSを見つけたんです。それが「STUDIO☆FEMY」だったんですよ。
-なるほど。一緒にBio_100%メンバーになるfemyさんが主催するBBSですね。では、Bio_100%を作る前に、femyさんと出会っているわけですね。
alty:そうです。femyも僕と同じ年くらいの学生で、すごく話も合って。femyはプログラマで、PDSのジョークソフトを作ったり、9801のBEEPで曲を鳴らす「BGMLIB」というライブラリを公開したりしていた。パソコン通信のホスト局もやってて、自分自身も面白プログラムも書いて、ライブラリも用意して……というfemyを、僕はリスペクトしていましたね。
-altyさんは、この時まだ9801のゲームは作っていなかったんですか?
alty:全然作れていなかったです。で、femyに相談したら、femyがBBSを介してオンラインでC言語を教えてくれたんです。
-オンラインでレクチャーですか!?
alty:そう。彼の家に行って横で教えてもらったとかではなく、オンラインで(笑)。そうこうしているうちにできちゃったのが『蟹味噌』。僕のPC98用の最初のゲームです。
-ということは、『蟹味噌』は、Bio_100%ができる前の作品なのですね?
alty:はい。『蟹味噌』はSTUDIO☆FEMYのゲームとして世に出て、それが色々なBBSに転載されていきました。そうすると「面白いものを作っている所」と期待されて、人がSTUDIO☆FEMYに集まってくるんですね。それで、他にもゲームを作りたい人がどんどん出てきて、STUDIO☆FEMYはゲームクリエイター志望者が集まる場所として有名になって行きました。
-Bio_100%みたいな集団が、そこにあったわけですか。Bioのきっかけを作ったBBSというわけですね。
alty:でも、個人運営BBSの人気が高まると問題も出てくるんです。商用BBSのように電話回線を山のように引いてるわけでもなく、インターネットのような仕組みも普及してない時代なので、なかなか接続できない状況になっていきました。それで、大手BBSに活動の場を求めようという話になったときに、femyが「ASCII-NETにはjunk.testという掲示板があって、色んな開発中プログラムがテスト的にアップロードされていて面白い」と教えてくれた。それで僕もASCII-NETのアカウントを取り、あの世界に入っていったわけです。
-ASCII-NET以前に、すでにSTUDIO☆FEMYで集まっていたBioメンバーもいるわけですね。
alty:そうですね。でも、よそでもSTUDIO☆FEMYの看板を掲げてゲームを作ったら、またBBSがパンクして同じことになってしまうかもしれない。ASCII-NETでBio_100%という新しい看板を掲げようと考えたのは、そういうことも理由の1つでした。
-なるほど。STUDIO☆FEMYは、Bio_100%の前身でもあるわけですか。
alty:ですね。Bioでやっていたような、オンラインで場を作って、クリエイターを集めて、ゲーム制作のツールやライブラリも提供して、みんなで楽しみながら作っていこう……みたいなことは、元々STUDIO☆FEMYでやっていた事そのものなんですよ。

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世にあるゲームをさらに面白くそれがaltyのゲーム制作の原点

-altyさんは、プログラム、シナリオ、グラフィックなど、ゲーム制作ではいろんな分野を手がけていますよね。
alty:でも僕はシナリオがしっかりあるようなゲームは作ってないですけど。羊男のような世界観を描けるタイプでもないので。僕が作ったゲームは、ほとんどが世にあるようなゲームです。既に面白いゲームジャンルがあって、それを自分勝手にアレンジしつつ家で遊べるようにするというのが楽しかったですね。
-altyさんの代表作であり、もうBioの顔となっている『SuperDepth』も、やはり元ネタが……?
alty:C言語が分かったのでシューティングも一つ作りたいと思って、昔からあった潜水艦撃沈ゲームを作ってみたんです。たしかATARI2600かコモドール64でもその類のタイトルがあって、その広告のイメージイラストがあまりにも格好悪くて気に入ってしまい、それをオマージュにベタ絵で作ってASCII-NETにテスト公開しました。そうすると当時いろんなフリーフォントを作って公開していたTACOXという人が、突然このゲーム用にタイトルロゴやグラフィックを格好良く描いて送ってきたんですよ。
-TACOXさんとそういう出会いがあったんですね。
alty:そこで終わりにしたらグラフィックがもったいなく感じられて、もっと広げようと思いました。まず『ポラリス』のように空からも敵がやって来たら良いんじゃないかと。それを空面でやってみたら割と面白かったので、今度は『ディフェンダー』も取り入れてみたくなった。それが宇宙面。そして、『グラディウス』みたいなボスがあった方が良いなと。それぞれ手本にしたゲームに及ばないながらも、色々採り入れていたら全体的に独自の雰囲気になっていました(笑)。
-なるほど。最初から、全く新しいものを……というコンセプトで作ったゲームはないんですか?
alty:無くは無いですけどね。『蟹味噌』は、無いゲームを作ろうという思いで作ったゲームです。それ以外は、PC98で普通にみんなが分かりやすく遊べる「よくあるゲーム」がフリーソフトとしてあれば、楽しいだろうという考えでしたね。
-そのへんの考えは、metysさんとは対極……と言ったら言い過ぎかもしれないですが、全く違っていて面白いですよね。metysさんは、「他人のマネだと言われるのが一番嫌い」、「どこかに必ずオリジナリティーが感じられる作品が理想」と言っていたので。
alty:あ、そうかもしれないですね。
-では、実際にそういったゲームを作る上で大事にしていたところは……?
alty:何にしても総合的に作り上げないと気が済まないんです。タイトル画面やエンディング、ネーム入力等の枠組みがきちんと作って、BGMや効果音もしっかり用意して、難易度も人を突き放さない程度に調整する。当時、フリーソフトで完成されているように見えるゲームが少ないのがもどかしかった。ゲームの中身だけ作ってタイトルはそっけないとか、ビジュアルは素晴らしいのに内容は難解とか。なので、どの角度から見ても、一定の機能や要素を満たしつつ、クオリティーやバランスも保つ……というのは気にして作っていました。
-altyさんが作るゲームは、シューティングも含めたアクションタイプが多いですが、やはりそのへんはご自身が好きだからですか?
alty:僕の技量では、キャラクターを動かす程度しか出来なかっただけなんですよ。metysや羊男なんかは技術力があるので、自身ですごいグラフィック処理で作ってきますけど。僕はBioの技術陣が用意してくれたライブラリで作っていました。
-では、当時アドベンチャーやRPGを作ろうとは思わなかった?
alty:アドベンチャーは無いですね。僕はシナリオを作るのも得意ではないので。RPGは、『ウィザードリィ』みたいなシナリオがほとんど無いシステムだけのスタイルの作品なら作りたくて何度か挑戦したんですけど、結局完成までには至らなかったです。

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【alty data】
●ハンドルネーム:alty(アルティ)
●本名:森栄樹(もりひでき)
●生年月日:1968年11月13日
●出身地:青森県
●血液型:O型
●趣味:旅行
●現在の職業:ANODOS Inc. 代表
●既婚 or 未婚:既婚
●好きな食べ物:貝
●好きな当時のゲーム:
『パルテナの鏡』
●一番好きなBio_100%のゲーム:
『Moon Kids' Paradise』

ゲームを作ること自体ではなく、仲間と一緒に作ってフリーで配布して楽しんでもらうことに意味があった

-altyさんは、Bioの代表的なポジションを務めていらっしゃいましたが、自分からやっていたんですか?
alty:自分からやっていたと思います。ただ、「代表は僕です!」と言えるだけの力量があるか自信がなかったんで、最初はそうは名乗らず、みんなが認めてくれるムードを感じてから名乗ってたと思います(笑)。
-Bioのメンバーは、総勢20人くらいいますよね。Bioに入れる入れないの基準は、altyさんが決めていたんですか?
alty:そうだったと思います。代表を名乗ってないくせに、僕が採用権を握ってました(笑)。活動後期もメンバーは増やしていきました。Bio本の第3弾を出す予定があって、それまでのメンバーではタイトル数が足りなかったんです。でも、結局その本は出ずに終わってしまった。この頃になると、もう社会人メンバーがほとんどで時間も限られてるし、一方でフリーゲームに求められるクオリティーも上がってきて制作にかかるパワーも必要になったので、厳しかったんですよね。
-では、その頃に世に出ずにお蔵入りになったゲームがあるわけですね。
alty:はい。例えば、そのとき僕が一番完成したかった作品は『ヤング堀』といって、名前の通り『ディグダグ』のような掘るゲーム(笑)。ドットをnanorayに描いてもらって、ある程度まで作っていたんです。岩はないけど、水脈や水溜りがあって、水が流れるというゲームだったんですよ。
-面白そうです。というか、ぜひやってみたいです。altyさんは、現在もBioメンバーの皆さんとよく会ったりしているんでしょうか?
alty:初期メンバーの中では、metysと定期的に会って雑談してますけど、それくらいですね。あとはこの企画で、10年ぶりぐらいに会ったような人ばかりです。だから、すごく懐かしくて面白かった。Bioに関わっていた人で行方の分からない人も何人かいるのですが、今回のサイトオープンでコンタクトが取れないか期待しているんですけどね。尋ね人コーナーみたいだな(笑)。
-当時は、どういうことが一番楽しかったですか?
alty:一緒に作る仲間がいて、期待も集めていて……充実していましたね。あの時、ゲームを作ること自体はもはや重要ではなかった。ゲームをコラボレートして作って、自分自身でも楽しみ、フリーで配布してみんなにも楽しんでもらうという課程が面白くて、そういう環境の中でゲームが作れたというのが本当に幸せでした。多くの人が目に見える形で喜んでくれて、いろんな人と出会いがあって。そういう意味でとても恵まれていました。
-ちなみに、現在はどういったお仕事を……?
alty:ハードウェアの企画開発です。ずっとソフトを作ったりサービスなりをやってきたので、これからはカタチあるモノも含めて一緒に作りあげたいんです。Bio_100%でやったように、純粋に欲しいモノを作っています。たぶん自分の性分からして、部品ではなく総合的なプロダクトを作らないと気が済まないでしょう。もちろん一人では無理なので、色々な人の力を借りなければ出来ません。でもそうすると、世のため人のためのモノであったり、コンセプトが明快なモノでないと十分な協力は得られないんです。独りよがりではモノは完成できないし、自分自身も磨く必要がある。そういうことも含めたものづくりの修行中です。
-Bioでの活動が、その後のaltyさんに与えた影響は?
alty:メンバーや色んな人の協力を得ながら、ゲームを作って多くの人に楽しんで貰った自信と経験は大きかった。この時、サラリーマンをいつでも辞めて独立してやっていけるとまで無謀にも思い込んでしまったことが、その後の転職や色んなチャレンジにつながって、今に至っています。とにかくBioでの体験が、良くも悪くもだいぶ効いていますね。これだと思うことを思いっきりやってしまっても良いんだという。
-最後に、altyさんにとって、Bio_100%とはなんでしょうか?
alty:難しいですね。んー、・・・やっぱり「ボーナスステージ」だったのかな。

(収録日:2008/6/11)

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